整体哲学/六本木整体GEN流院

根本的な考え方が違えば施術そのものも全く変わります
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整体哲学とは
はじめに

 当院の整体は根本的な自然哲学に基づいて行われています。これらを参考書の様に列記することは可能ですが、現代社会も日々高速に変化をしています。その様な中、日常生活にどの様に活用するかは、読み手側の皆さま次第であって、決して私から押し付けるものであってはならないという考えです。多くの方々に、私の「健康観」「自然観」をご活用頂ければ幸いです。
  人間という狭い枠で考えると、どうも窮屈で小さな視野でしか物事が見えなくなってしまうものです。根本的に視野や思考は枠のない無限なものであるにも関わらず、勝手に枠を作り上げるのが人間です。ある意味、これらの枠は自分そのものが作り上げた塀でもあり、かつて「馬鹿の壁」という書籍を執筆された方がおられましたが、これも日常に飼いならされる事によって起こる、人間の思考習性なのかも知れません。
 そして、思考のみならず、現実の科学でさへも、事実と思考の矛盾によって壁が生成されているものなのだと私は考えます。目で見る色は「黒」でも、見え方まで黒である理由は絶対的にないのです。根本的に、色の感じ方は、2歳以降の学習された社会的脳によって、共有する常識的精神から形成された「枠のある決めごと」であるわけです。
 では、何色に見えるのか?というご質問を即座に頂きますが、自分の見たままの色が正解です。色の呼び方をしなければ良い。それこそ科学でいえば色など単なる「光の反射」であって、その波長をどう感じたのかということでしかない。この感じ方がいつの間にか強制されているのが人間社会。
 かつて、パブロ・ピカソが人生の終焉の手前になり「ようやく子供の時の様な絵を描けるようになった」という言葉を残しているように、そもそも色や形、感じ方には枠など存在しません。この様に、人間は自分でも気付かない内に社会に飼いならされ、「常識」であったり「感じ方の表現」が、共通的言語によって表現出来る様に、自由と引き換えに「協調性」を強制的に獲得させられいます。これが、自己表現や感性を束縛するものであることは、大人になって、自分という存在と向き合い始めて、自分という人間を「成長させよう」とか「変わろう」と思った時から気付くことになります。

生きているという事

 「生きている」ということは常識的目線、又は一般的社会言語から導き出される解釈では、おそらく殆どが、「心臓が動いている」「脳が自発的に機能している」という意見に集中すると思います。しかしこれは、人間及び心臓や脳を持つ生物が前提にある価値観でしょう。ですから、私はいつもこういう答えをする人は「絶対的な人間至上主義」だと感じてしまうわけです。
 全体論で言えば「生きている」ということはどの様なことなのでしょう?心臓や脳を持たない分類まで視野を広げると、物質そのものまで視野が広がります。そうやって大きな視野でみれば、「組織されている状態」にあり、それが「安定した状態で活動されている」というものに行き着きます。脳や心臓は、安定した循環があるからこそ、組織が「生きる」ことができるわけで、この安定した環境下で、単に組織として「存在した」という、意図を持たない無機質的な考え方も成り立ちます。
 ですから、生きていることを最小化して突き詰めると、「組織が意思を持たずに一定範囲内で安定した状態にある」ということに行き着きます。

組織と安定

 自然はいつも絶対的な法則に逆らうことなく、それらを受け入れつつ、共存しています。また、その逆の解釈では、共存の結果だからこそ今尚、ここに存在しているとも言えます。ある意味人間は不自然な生き物であって、絶対的な法則に逆らい、壊す異端な生物なのかも知れません。ただ、この絶対的な法則に逆らうことは、新しい人間以外の種への進化にはどうも必要な工程の様で、例えば、絶滅した生物の遺伝子を取り出して復活させようとしたり、50歳になって20歳の時の肌になろうと努力をするわけです。
 私はこれらの努力が無駄だと言っているわけではありません。もしもこれが可能な未来が来た時には、これまでの人間という種が、人間ではなくなるフェーズに入り、地球=自然との共存関係から人間が明確に離れる瞬間だと思うのです。宇宙人とでもいいますか、おそらくそうなった場合には、他の惑星に移動できる技術が出来上がっていると思います。つまるところ、これもまた新しい安定を獲得できる場所に、たまたま共存として○○人?として組織されるだけのこと。ま、最初から肉体を捨てる事を受け入れれば、脳のバックアップだけで寿命もありませんから、既に月なんかにも簡単に移住できるのでしょうが。
 そう、宇宙では地球上の安定が成り立ちませんから、例えば気圧なんてものもありませんので、体が直ぐに外へ膨張してしまい、組織が安定を図れません。体の形が維持できない。また、少なくとも哺乳類は無重力化では出産は無理でしょう。大前提として、強い放射線はもとより、重力による「重さ」がなければ、筋肉や骨は発達しません(カエルの卵の実験では細胞分化までは確認)。つまり、無重力下において、筋肉や骨が安定してしまうので、地球に戻れば歩けないのは勿論、骨折してしまうことになります。ちなみに、水の中とはいえ、無重力環境では、胎児は臍の緒が絡まってしまい、仮に成長出来たとしても、出産までは行き着くのは困難でしょう。
 地球環境には絶対的な法則が存在します。人間はそれと共存しているから本来ここに存在していられるのです。

圧力

 私の母は、翌日雨が降る時には、必ず手首を抑えて「雨が降る」と予言していました。そしてシッカリと雨が降ります。何故こんな事が分かるのでしょう?その答えは簡単で、人間は気圧という圧力に対して、圧縮や引き延ばしの応力が加わります。「骨って硬いんでしょ?」という感覚をお持ちの方が多いですが、骨そのものには柔軟性があります。子供等は、非常に骨が柔らかいので、転んだ位では骨折は起こしにくものです。仮に骨折をしたとしても「ポキっ」とは行かず、生木の様に折れるわけではありません。どちらかというと組織の破壊変形という表現に近いと思います。当院へお越しになる方でも、子供は多く、中にはジャングルジムから落ちて腕を骨折した子もおりました。イメージというのは怖いもので、いつも「骨折=ポキン」という映像が脳裏にある様です。この様に骨は、大人になっても子供よりは遥かに硬いものの、柔軟性は完全には失われていませんから、気圧が変化する度に、伸縮を繰り返しているのです。しかしながら、骨折した部位は、瘢痕として固まってしまい、組織の伸縮ができません。だから、気圧が急激に変動した場合に、古傷の部位に痛みのようなシクシクする違和感を感じるわけです。人間天気予報とも呼ばれる様ですが、骨折の様な大きな怪我をされたかたは、かなり正確に雨の前兆が分かります。
 この気圧は、実は他にも体の弱い部位が適応できない(安定状態に持ち込めない)ため、例えば、腰が昔から弱い人は、腰痛やギックリ腰が再発します。暫く当院で施術をして、痛みが消えた方でも、気圧の変動が激し過ぎると、再び「また痛くなった」と予約の連絡が来ます。首であれば寝違えですが、春先と秋頃に顕著に増えます。その理由は、既にご説明した通りで、気圧の変動がめまぐるしい時期だから。先述した様に、地球上に生きている組織は、人間動物のみならず、全てが影響を受けています。春の芽吹きも、秋の紅葉も、他人事の様に見てると、自分もギックリ腰や寝違えで地球の洗礼を思い知ることになるでしょう。

気圧で驚くべき事実

 これは私が勝手に調べて分かったことですが、気圧の変動は人間の体に症状を齎すだけではありません。芽吹きや紅葉は当たり前ですが、なんと、地震すらも気圧の変動が関係しています。私が何故これに気が付いたのか?というと、「今日はやけにギックリ腰で予約が入るな」と感じる時に、結構な確率で地震が起こるのです。それに気が付き、気圧配置図と照らし合わせてみると、ギックリ腰注意報が出せます。同時に地震注意報も出せるのです。私が定義する地震とはマグニチュード3.0以上のものです。ですから震度とは比例しませんが、かなりの高確率で当てることが出来ます。地震学者が断層やプレートの動きを分析するのも大事なことかも知れませんが、生きている人間を分析すれば、もっと簡単に分かるはずです。ちなみに、地震の前の前兆して、空の雲の形の変化を訴える人がいますが、電磁場説というより、私は単に気圧の異常な振れだと解釈しています。驚くほど当たります。私の地震予報は。